古代の日本では「鏡」は太陽の象徴であるとともに、神様の象徴でもありました。
鏡は太陽の象徴
古代の鏡は銅で作られていて、丸い形をしておりました。この銅鏡を用いて山々の山頂で太陽の光を反射させることで、遠く離れた山から山への光通信を行っていたとの見方があります。鏡で太陽の光を反射すると、鏡そのものが太陽のように丸く光輝いて見えることから、古代人は、鏡を太陽の象徴としていたようです。
太陽は信仰の対象
日本には古来から太陽信仰がありました。
太陽を信仰は、古来より世界でも多く見られますが、なぜ人々は太陽を信仰したのでしょうか?
それは太陽の恩恵によって人間が生かされているということにほかなりません。
太陽は自然の恵みや神羅万象の営みになくてはならない、とても大切で有難いものであるからです。
それ故、人々は太陽に神の姿を重ね合わせて、太陽を信仰の対象にしたとも考えられています。
神様も太陽も、ともに光輝く存在です。
太陽の光を受けて一点の曇りもなく輝く鏡のありさまに、人々は神の姿を見出したのでしょう。
鏡は神様(天照大神)の象徴
日本神道においての最高神は太陽神である天照大神(アマテラスオオカミ)です。人々に恩恵をもたらしてくれる最高神です。
神道では太陽を象徴する「鏡」を、神様のご神体として神社の本殿にお祀りするようになりました。
鏡を神様が寄り付く、依代(よりしろ)と考えたからです。
因みに依代とは、神様の寄りつく媒体となる物体のことを差します。
榊(さかき)も依代のひとつです。
鏡が太陽の象徴であったところから、鏡を太陽神「天照大神」の依代としたのでしょう。
『日本書紀』においては、天照大神は孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の降臨にあたって、「この鏡を私の御魂(みたま)として、私自身をあがめるように祀りなさい」と命じたと記述されているます。
※日本書紀では天照大神(アマテラスオオカミ)、古事記では天照大御神(アマテラスオオミカミ)と表記されており、どちらも正しい。
因みに、お正月にお供えする「鏡餅」もまた、年神様を新年にお迎えするための依代です。古代の餅は丸く平らで鏡の形に似ていたことから「鏡餅」と呼ばれる様になったとのことです。
鏡は三種の神器の一つ
三種の神器は、日本神話において、天孫降臨の際に瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという「鏡・玉・剣」のこと。
それは、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。
鏡・玉・剣のいずれも神様が寄りつく「依代」で、神様の御霊(みたま)が宿っていると」されています。
三種の神器の一つの八咫鏡(やたのかがみ)は、天照大神のご神体として、伊勢神宮の内宮に古来のものが現存のまま奉安されており、皇居(宮中三殿の賢所)には八咫鏡の形代(複製)としてのご神体の鏡が祀られているといわれています。
このように、鏡というものはとても神聖なものです。
鏡は神世に通じる神聖な道具で、神世から送られてくるエネルギーを受け取るための媒体となるものです。
さて、ここからが本題です。
鏡はあなたの心や魂を映し出すものです
なぜならば、人間の心や魂の中にも「神」が宿っているからです。
宇宙の一部である人間の中にも、大いなる宇宙の神々のカケラ(分け御霊)が内在しております。
例えば、天照大神のような最高神も一人一人の人間の心や魂に宿っているわけです。
また、天照大御神の他にも八百万(やおよろず)の神々が内在しており、八百万の神々は人間だけではなく、自然界の森羅万象の中にも宿っています。
宇宙の根本的な神様のことを「外在神」とし、人間に内在する神様のことを「内在神」とするならば、外在神と内在神の関係は、電話の「親機」と「子機」に例えることができます。
外在神(親機)が本体で、電波によって内在神(子機)に繋がっています。
鏡は神々と繋いでくれる一方、人間の内なる神を映し出すものであります。
現代では、神社参拝の折に自分自身の外側の神様にお願い事をする人が多くなっていますが、日本の古神道においての神社参拝は、自らの内なる神様に感謝するための儀式であったそうです。
内在神に感謝しつつ、外在神を尊重することが、古神道の基本的な考え方だそうです。
※古神道とは、古代の日本人が持っていた信仰(元々の神道)。
鏡の曇りは、自らの心の曇りを意味します
自宅の鏡を綺麗にしていれば、内なる神が光って来て、宇宙の神様とも繋がりやすくなります。
しかしながら、鏡をきれいに扱えない人は、内なる神にまだ曇りがあるということができます。
内なる神にまだ曇りがある人は、自らの内なる神(内在神)が隠れているということになります。
それは、内なる神がいないということではなく、その人間の心が暗かったり、オーラに淀みがあったりすることで、その人の本質が充分に目覚めていない状況です。
心の闇が晴れていないから、内なる神が隠れたままになっている。
そのため、自分らしく生きられない、自分らしさもわからない。未来の展望が見えない、本来の道を踏み外した選択をしてしまう。お先真っ暗と思ってしまう。モノゴトが円滑に進まない、いつも堂々巡り・・・。ということになってしまいます。
因みに内なる神(内在神)は、精神世界で「ハイヤーセルフ」と呼ばれる概念のことです。
「ハイヤーセルフ」は「高次元の自分」や「内なる自分」と説明されています。ハイヤーセルフと繋がる(つまり自らの内在神が起きる)ことで、さまざまな事柄が円滑化するといわれています。
さて、あなたの家の鏡はキレイに磨かれていますか?
洗面台の鏡、玄関の姿見、鏡台の鏡、手鏡、化粧品の鏡…など、あなたの鏡の状態はいかがでしょうか?
洗面台の鏡に水が飛び跳ねた塩素の跡が白く残ったまま、ずっと放置していませんか?
姿見の鏡にうっすらと埃がついてはいませんか?
手鏡やコンパクトなどの化粧品の鏡が手垢でベタベタになっていませんか?
鏡の汚れは、結構見落としがちになるものです。
どんなにお化粧に時間をかけて外見を美しく整えても、どんなにおしゃれして外見を着飾っても、ご自身の内面が汚れていてはいけませんよね。
内なる神は鏡の汚れを歓迎していない筈です。
内なる神と繋がっている、つまり内なる神と一体化している人は、鏡を汚れたまま放置できない筈です。
汚れた鏡は「心のよどみ」に拍車をかけます
朝晩の洗顔時や髪型を整える時やお化粧をする時など・・・誰もが一日に数回、鏡を見ることと思います。
鏡を見ることは、自分自身を見ることでもあります。
鏡が汚れていると、そこに映し出される自分自身もぼんやりと濁って見えてしまいます。
人間の心は五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)によって大きく影響されています。美しいものを見たり、好きな音楽を聞いたり、美味しいものを食べたり、良い香りを嗅ぐことで、心が満たされ良い気分になるものです。
なので、毎日のように汚れた鏡で濁った自分を見ていると、知らず知らずの内に、心も濁りやすくなってしまいます。
毎日繰り返し見ている光景が、無意識のうちに、情報として自らの心や脳に記憶として蓄積されてしまいます。
蓄積されたものを取り除くには時間がかかってしまいます。
今日からでも「鏡」のお掃除を・・・。
もし、鏡のお掃除がイマイチであるならば、今日からでも日々、鏡の掃除をするように心がけましょう。
洗面台の鏡やコンパクトの鏡は、確かに日々汚れてしまうものです。それは、人々の心と同じと言ってよいでしょう。だからこそ、日々のお手入れがモノを言います。心の汚れを日々浄化できるとしたら、お掃除も苦にならないのでは・・・?
あなたの家の鏡がクリアになることで、あなたの心が明るくなり、あなたの内なる神もクリアになり、元々クリアな宇宙の神々とも繋がりやすくなります。
クリアという同じ周波数を持っていれば、通信が容易になるからです。
運気UPのためにも、ぜひ「鏡」のお掃除を・・・。
鏡のお掃除は、風水においても開運アクションとされています。
キレイにお掃除された汚れのない鏡は、邪気を払い、幸運を引き寄せるラッキーアイテムになります。
魂の進化を遂げたいと願っている人も、外側の神様にばかり気をとられていないで、自分自身の内なる神様の目覚めのためにも「鏡」のお掃除を心がけてみましょう。
運気を上げるためには、まずは断舎離から、そして自宅のお掃除からといわれているのと同じように、自らのエネルギーレベルを上げるためにも家の片づけとお掃除が必要です。それができない人は、まだご自身の中に混乱や淀みがある証拠です。
何事も足元から固めることが肝心です。自宅や持ち物のお掃除も例外ではありません。
なので、内なる神が曇らないように、鏡もピカピカに磨きましょう。
平成最後のお正月は、ピカピカの鏡とともに迎えたいものですね
キレイな鏡に映る自分自身の姿を見ることは、この上なく清々しいものである筈です。
きっと背筋が正される感じがすることでしょう。